ようこそ!Rintoです。今日は先日行ってきた『特別展 ミイラ』の感想をお伝えします。
文化によってミイラの形や意味合いが様々で、世界文明の広さを体感しました。
地域や文明によってミイラの意味合いが違うことにびっくり…!
「ミイラって何のために存在しているの…?」
「偉いひとたちを称えるため…?」
ミイラ展に行くまでは、こんな疑問を持っていました。
ミイラといえばやはりエジプトのイメージが強いですよね。
その中でも特に有名なのはツタンカーメン。
あの仮面とともにミイラは発見されていますが、
その印象が強いからか、王などの偉人を称えるためにミイラにしていると思っていました。
が!!
一概にもそういうわけではなさそうです。
地域によって意味合いが違うんですよね。
ミイラ展で学んだのでみなさんにお伝えしていきます。
南北アメリカのミイラ
南北アメリカでは数多くのミイラが発見されていますが、自然にできた最古のミイラは約一万年前にまで遡ります。
そんな中、特に重要なミイラとして挙げられるのは、古代アンデス文明のミイラです。
ペルー北部の高地に位置するチャチャポヤス地方では先祖の遺骨を布で包み、崖の岩棚に安置する風習があったそうですが、アンデス文明のミイラはまさにその影響を受けています。
つまり南北アメリカ(アンデス文明)のミイラは、
集落を見守る社会的意味合いがあったと考えられます。
ミイラに見守られてる…。私だったら、ゾクゾクしてしまいますが、
当時の人たちからすれば、先祖に守られている安心感があったのでしょう…!

古代エジプトのミイラ
古代エジプトはミイラの印象が強いですよね。
ここでの意味合いはアンデス文明とは異なり、
死者の願いをかなえるための個人的意味合いを持つと考えられます。
最初にツタンカーメンの話をしましたが、まさにそんな感じですね。
国や文明に多大なる貢献をした偉人たちの願いを、死者になった後も叶えたいという強い思いが感じ取れます。
古代エジプトの歴史や思想 は、ヒエログリフという文字のおかげで解明されました。
その甲斐もあってミイラ作りの詳細まで研究することが可能になっています。

ミイラはこの世で死者が唯一帰ってこれる場所
古代エジプトにおいて、死者の魂は「バー」と呼ばれていました。
鳥の形をしていて、ピラミッドの中にある「偽扉」(ぎひ)を通ってあの世に向かうとされています。
そしてその「バー」がこの世に戻ってきたときに、唯一帰ってこれる場所としてミイラであると考えられていました。
ミイラができるまでの期間は2ヶ月以上…?
ミイラにするためには、死後2~3日経ったあと「ナトロン」という塩のようなもので洗います。水分吸収と殺菌効果があるそうです。普通に現代でも使えそうですね。笑
その前に内臓を取り出すのですが、心臓だけは残しておきます。
心臓は生命の象徴とされており、私語の世界で神様の裁きをうけるのに必要とされていたからです。生きてきた証拠を見せるわけですね!
ナトロンで洗った後は水で洗い流して、それから包帯を巻きます。
ここまでかかる日数はなんと70日間…!
「バー」になった死者たちの居場所をつくるためにこれだけの時間が必要だったんですね。
ヨーロッパのミイラ
ヨーロッパのミイラは、高山地帯や寒冷地帯で発見されてきました。
それらは、偉人や家族を敬うための個人的意味合いで存在しています。
カナリア諸島の先住民であるグアンチェ族は、有力者が亡くなると遺体の表面に樹脂や泥を塗りつけて、日光にさらしたり煙でいぶしたりしてミイラをつくり敬ってきました。
一方、とても特徴的なのが湿地帯で発見されたミイラです。
北ヨーロッパの泥炭地で発見され、湿地遺体(ボッグマン)と呼ばれるそれらは、暴行された跡のあるものが多く存在することから、犯罪者の処刑や生贄として湿地に埋葬された可能性が考えられています。
酸性の泥炭地では、骨が溶けて皮膚だけ残ったミイラになります。
アルカリ性の泥炭地では骨だけ残るので、ミイラとしては発見されていません。

↑ 実はここに描かれているミイラはボッグマンでした…。変わった形をしていますよね。実物は展示で是非見てみてください!
時代の背景が分かるとさらに面白い
以上が地域ごとに分けられるミイラの意味合いでした。
それぞれ土地の温度や湿度、歴史的背景が絡み合ってつくられてきたことを学びました。
また、人の死に触れながらも、同時に人々の思いにも触れて、どこか心の温かさを感じるミイラ展鑑賞でしたね。
開催期間は2020/2/24(月)までですが、お時間ある方は是非足を運んでみてください…!
きっと私以上の新しい発見がありますよ!
では!Rintoでした。